こんにちは、ゆくりです。
*降参・・戦いに負けて、相手に屈服すること。降服。
なんだかモヤモヤする言葉ですね(笑)。
でも降参って、「自分を相手に明け渡す」行為でもあります。
今まで手に強く握りしめていたものを手放すってことだから、肩の力が抜けるし、ジタバタしなくなるし、目の前の現実を無理やり変えようなんてことはしなくなるんですね。
人からどう思われるかも、どうでもよくなる。
自分の周りに身に付けていた重い鎧も脱がされてちゃっているわけだから、もう丸裸になるしか選択肢がない。
でも、この瞬間が人間の一番の恐怖だと思います。だって身を守るものが何もないから。
現実を受け入れようとする行為ほど、勇気が必要なことはないんじゃないかな。
だって実力もない、お金もない、容姿もイケてない、友達もいない、親ともうまくいってない、恋人もできそうもない・・(悲しくなってきた)
そんな「不足感」に目を向けつつも、その現実を直視しなければ、健全な心で前に進めないことを私たちは知っているのに、「こんな自分でもええやん!」と思えるまでの過程は、誰だって孤独で辛い。
もし覚悟が決まらん!と思ったら、神社で「神様、どうぞ私をお使いください」と伝えてみてください。
これは「私は自分の力を取り戻します!」「この肉体を使うことをもう惜しみません!」という誓いと同じ。今の自分で勝負することに腹をくくり、「こんな私ですがどうぞ使って下さい」と、先に降参するんです。
そこには静かな覚悟があって、自分の足で立つ準備ができていて、だからそういった言葉が抵抗なく出てくる。
神社には本殿の奥に鏡があって、そこに映っているのは自分です。つまり、神社で手を合わせて言葉をかけているのは自分であって、自分への宣誓を立てているんだなと思っています。
星を詠む方は「宇宙に身を委ねる」という言葉をよく使いますが、この「降参」という言葉には近いシンパシーを感じます。要は目の前に起きている出来事に抵抗しない!ってことです。
降参することで、また他の景色が見えてくるかもしれません。
0コメント